ブックオフで100円でかった堺屋太一の「ブランド繁盛」が良著だったので、前にも書いたネタではあるが、改めて頭の中の考えを明文化してみようかと思います。(尊敬するサークルの先輩が堺屋太一ゼミにいたのを思い出し買ってしまった。SFにいるらしいが元気だろうか)ちなみに、この本の書評を書く訳ではない。


産業構造と変遷をまとめたものって以外と少ない気がする。「経営者の時代」という上下巻で10000円するやつぐらい。この本は「経営者の時代」と書いておきながら、実際はアメリカの産業を輸送と情報通信の変遷から社会構造の変化にそって紹介している本です。僕は睡眠剤の代わりと枕代わりに主に使ってました。(2冊積むとちょうど良い頭の高さになるしね)


今回はこの本のように、日本における百貨店産業をブランドと物販及び情報の変遷を切り口に社会構造の変化の中で立ち位置、存在価値をどのように失ってきたのかを書いてみようかなと思います。出来る限り、歴史背景を調べて書きたいが、基本的にはMの偏見ベースで書いている思っていただけた方が良いかと思います。現在、空いた時間に書いたのが少しあるけど、数回にわけて公開しようと思っていますが、何回になるかわからないし、最後まで書けるかどうかも分からないので。。


ご意見などをいただけるとありがたいです。
先日は後輩の結婚式の二次会に参加。彼女からの招待メールに偽りなく、「美しく化けて」みせてくれた。かなりアウェーになることを予測していたが、思いのほか知っている面々がいてプチ同窓会のような感じであった。先輩も同輩も後輩もちらほら結婚しているなかで、残念ながら、結婚の予定はない。


こんな偏屈な男と人生を共にしてくれる寛容な人がいれば、自分の人生も少し変わるのかも知れないと思いつつ、あまり期待もしていないが。



統一地方選挙の後半戦もそろそろとなり、大学時代のチ人(「チ」をどう変換するかはご想像にお任せします)も立候補するなど、自分も被選挙権を行使できる年齢になったことをしみじみと思う今日この頃です。私の場合は政策を考えるのは好きだが、政治活動は好きでないのでこの先、行使することはなさそうだ。


大学院時代の副専攻がITを活用したソフト面での地域活性化だったことから各地方自治体の活動は割と精通している(副査の先生がこの分野の日本一のスペシャリストで仲が良かったのが原因だが)と言ってもいいかもしれない。実際に2年間で30の市町村の方を招いて議論していたわけだし。。


うちの大学を中心になって全国自治体ICTサミットなるものもやっていたりするなかで、各地域でICTをどのように地域内で活用するかを研究し、実行している。この背景は、基本的には地域の過疎化などがベースとなった「いま、どげんとせんといかん」的な問題意識、危機意識があるわけです。自然と危機意識が高いところほど地方行政、首長の意識も非常に高いし、チャレンジングなこともかなり行ったりする。


逆に言うと、千代田区のように金満自治体は危機意識が低い。。自治体の危機意識というと役人批判になるので、さらに書くと、地域住民の危機意識が低いといったほうがいい。そのせいか千代田区という東京の中心なのに、やっている政治スタイルはインターネット以前の村政治を未だに続けている。(その村のほうが意識が高いという話だが)


少なくとも今の議員でICTを語れる人間は知っている限りいない。そんな中で以前から知り合いであった人が出馬するとのことで、こんなのはどうか、あんなのはどうかと議論した中で区議会のニコ生中継なんだけど、正直誰が見るのかと言われると弱いが、地方議会こそより地域住人やらに見てもらえる機会を多くした方が良いのではないかと思う訳です。

まぁどうなるやら
前回の投稿にも書いたように、今回、萌えるゴミぶくろを救援物資として提供しました。提供した背景としては、ポジティブな理由は①大量にゴミが出る被災地ではそれらのゴミを入れる袋が必要であろうと思ったから、②そもそも萌えるゴミぶくろは萌え商品を作る以上に、桜の季節に宴会などで汚くなった景観をゴミ袋も桜色にすることで改善するための商品でもあるわけで、ゴミにあふれた被災地において少しでもゴミの景観が良くなればと思っておくりました。ただネガティブな理由も書くと、単純に在庫一掃。。。っということで偽善活動なんですよね。正しくは結果善活動かな。


さてさて、今回はググって見つけた内閣府認定のNPO法人(少なくともWebサイトのフッターにはそう書いてある)の震災特別チームに提供して、そのNPOさんを通じて各被災地に送ってもらう流れになっていました。一応、萌えるゴミぶくろは私の会社の資産なので、会計処理のためにNPOさんに受領書をいただきにいったのですよ。前日に電話して、アポイントとってNPOさんの受領印をもらえることを確認していったわけです。


行ってみると、30代後半ぐらいの女性が「あんた誰?」的な感じで対応してくれて、震災対策チームのハンコはまだハンコ屋さんにあると言われた訳です。。意味がわからん。。。仮に対策チームとしてのハンコが作っている最中だとしてもNPO法人なんだから、NPO法人の受領印やそれに類するものがあるはずだから、それ押してくれればいいんじゃない?って思ったわけです。


M「それではNPOのハンコでもいいですよ」
NPO「だから、今は緊急時でハンコを取りに行く時間がまったくないんですよ。」


通じていないのかと思い改めて聞く

M「いやいや、震災対策チームのでなくて、NPOさんの受領印とかでもいいですよ。っと言いたかったんですが、、NPO法人の活動としてされているのですよね?それならば、NPO法人さんのハンコでもいいですよ」


NPO「今回の震災は日本歴史上最悪の震災なんです。ここで働いている人はみんなボランティアで働いているんです。今回もNPOの有志で緊急に作ったチームなんです」


・・・・・・・話が噛み合ん。。


M「このチームはNPO法人としての活動でなくて、ただの(任意団体)ボランティア団体でやっているということですか? ハンコなどがないのでしたら、代表者の方のサインで大丈夫ですよ」


この「ただのボランティア団体」の言い方が悪かったらしく、彼女の逆鱗に触れてしまい、すごい形相で怒鳴ってきた。

NPO「ただのボランティア団体というのは不快です。みんな震災後から一所懸命にやっているんです。」
M「正しくは任意団体で活動されているんですか?それともNPO法人として活動しているのかを聞きたかっただけです。特にこちらとしてはどちらでもかまわないのですが、任意団体に対してお願いしたのか、NPO法人にお願いしたのかを確認したいだけです。」


っと質問したのだが、どうにもこうにも理解していただけていないようだったので、とりあえず、代表者らしい人にサインをいただいて帰ってきた。それにしても「ただのボランティア団体」に対しても失礼だろっと思う訳ですが。。


NPOの市民権もこの数年でかなり得てきたのは確かだが、かなり間違った市民権の得方をしている気がする。NPO=ボランティア団体と思っている人が未だにいるようだ。そもそもNPOは株主への利益の再分配をしないこと以外は概ね株式会社と同じ法人格の種類であるわけでして、その証拠に数年前までは広義のNPO(一般的にはNPOは特定で日本最大の法人は第一生命(相互会社)だったわけですし。。。


ボランティア団体がNPOの体でいるのは、法人格であったほうが取引がやりやすかったり、株主が再分配などを求められないので、より実働者の想いを軸に活動の意思決定ができたりするのが良かったりするわけです。ただ、法人格である以上は株式会社と同じように法人としての責任があるわけです。


今回の場合は内閣府認証特定非営利活動法人と冠をWebサイトに書いてあるのに、活動の実態が任意団体っぽいから看板に偽りありじゃない?っと言う素朴な疑問だった訳です。
近くに桜並木が奇麗な公園があることで、朝のジョギング(ウォーキング)がちょっと楽しい今日この頃です。


もう震災から1ヶ月と言う表現をするメディアがあるけれども、正しくはもう1ヶ月も震災が続いていると考えた方が正しいほど、ずっとグラグラしている。また、津波の被害が大きかったせいで、震度6は翌朝のワイドショーのネタにもならなくなるほど、変な順応性を社会全体で持ってきた気がしてならない。


ちなみに、私の家は父が3月11日当日に会社をサボって、大洗に釣りに行っておりまして、夜まで連絡がなかった。さすがに死亡フラグがたったかなと思った頃に電話があり、成田にいるとの話だった。運良く地震の2時間前に大洗を後にしていたらしい。。また、叔父も福島県沖にいて、10m級の津波を3つ乗り越えておりました(YOUTUBEで確認した)


っと言う感じで、ぎりぎりのところで親族に被害がなかったのでよかったです。ちなみに、今回の震災への救援物資として、例の「萌えるゴミぶくろ」を大量に送りました。。袋としての機能は間違いないので、使っていただけると思いますが、反応は非常に怖いです。。まぁ、この「萌えるゴミぶくろ」も元々は桜の季節に上を見れば桜が奇麗だけど、下をみると宴会のゴミで汚いので、ゴミ袋も桜色なら景色も良くなるだろうと言う意図で作ったので、ある意味では意にかなったかと。。。

っということで、テレビで被災地の避難場所の中継があった時に、ピンク色のゴミ袋があったら、それだと思ってくだされ。。
どうにもこうにもグルーポンビジネスは好きになれない。ビジネスモデルとして無理があるように思えてならない。リアルタイムでの値引きとかならわかるけど、現状の日本のグルーポンビジネスは現状の商品価値を低めているだけのようにしか思えなくて好きになれない。


風の噂ではあるグルーポンでは今のコースを3倍の値段にあげて、グルーポン上で1/3にしているものもあるとか。御節の話は他にもあるはずだ。公正取引委員会とかがそろそろ出てくるんだろうと思う。結局、店側にコストもリスクも生じる形になっているわけだし。


グルーポンビジネスも最初のうちは数が少ないから目立って、それなりの効果があると思うのだが、数が増えると目立たなくなる。実際に2回ほど使ったけど、2回ともその店に行くのが1回きりである。もしかしたら常連さんもできるのかもしれないが、費用対効果はどうなんだろうか?


たぶん、一番頭のがいいのは、グルーポンを最初のうちに初めて、バイアウトしたヤツラなんだろうと思う。継続性無視でバイアウトをゴールするのもいいかもな。。アホな金持ちがはやり物を買う感じで高値で買ってくれるかも。。ゴーイングコンサーンとは逆方向だな。。

1904年 マサチューセッツ州ボストン

これらの教えのおかげで、どんどん成績を伸ばし、飛び級を重ね、私が14歳でMIT(マサチューセッツ工科大学)に入学をするのに際して、一家でボストンに移った。1年後に弟が11歳でハーバード大学に入学した。

 

 

大学では数 学などの理系分野に関してはそれ相応の能力を持っていたが、歴史などの分野は高校生ぐらいのレベルしかなかったために、特別プログラムを受けていた。まわ りが皆年上であったが、年上との付き合いのほうが慣れていたデーヴィットにとっては都合が良かった。このことは非常に重要で、他に飛び級して若くして大学 生になったものの年上の同輩との付き合いかたがわからなかったために道を踏みはずするものは少なくなかった。

 

入学した当 初は奇異の目で見られることも珍しくなかったが、次第に友人ができていった。最も親しい、制御学を専攻するステファン・エマニエルはデーヴィットが一人で ランチをしている時に、いきなりマシンガントークをしてきてからの友人である。ステファンを皮切りにステファンの友人で、巨躯で寡黙な考古学専攻のフレ ディー・スミス。彼は友人であると同時に、歴史の楽しさを教えてくれた師でもあった。フレディーの恋人であるシェリル・オーウェンはハーバードスクウェア 近くのシーフードレストランで働いており、彼女が働いている時は格安でランチを食べさせてくれた。いつもの彼女の口癖は「こんなサービス、メッタにしない んだからね」だった。担当教授のジェローニモ教授は数学のみならず、人としての大切なコトを教えてくれた。

 

 

17歳の時に弟ウィルと揃って卒業した。卒業後はウィルともども大学院に進学した。その理由は、単純に研究を続けたいと言う想いもあったのと、ジェローニモ教授に進学を薦められたからであった。

 

デーヴィットの専攻は、整数論であった。特に熱中して取り組んだのはフェルマーの最終定理であった。3以上の自然数nについて、Xn乗)+Yn乗)=Zn乗)となる0でない自然数X,Y,Zの組み合わせがないことを証明するといった単純なものであったが、16世紀から200年間誰一人として証明できなかった数学界の難問中の難問であった。

 

この間、デービットはただ勉強をずっとしていたわけではない。遊びもしっかりとしていた。そもそも、ずっとガリガリ勉強するタイプでなかったし、他の飛び級生が悩むような歳の離れた同級生とも率先して遊んでいた。

 

大学院に進学したばかりの10月に最初のガールフレンドと出会う。彼女の名前はエリシア・ボイル、デービットのように飛び級したわけではなく、普通に大学院に進学したため、デービットよりも7歳年上の23歳であった。

 

彼女との出会いは大学院の数少ない授業であった。大学院の初授業で授業が行われるはずの教室にデービットは早めについた。30人ほどが入れるほどの小さい教室には女性が一人いるのみで、他には誰もいなかった。

 

早くついたデーヴィットは最前列に座り、授業が始まるのを待っていた。しかし、始業時間がすぎても教授も来なければ、他の学生も来なかった。それを疑問に思ったデービットは教務課に確認に行くと教室変更がされており、あわてて教室に向かった。

 

慌てて教室に着くと学部の頃からお世話になっているジェローニモ教授が待っていた。

「珍しいな。君が遅刻なんて、さては教室変更を知らなかったかな?毎期そういう子が何人かいるからね。そうそう、今、自己紹介をしていたところだったのだが、そのまま君の自己紹介をしてくれないかね?」

教授は特に気にせず、デーヴィットに自己紹介するように促した。

 

「うむ、一人足りないな。デーヴィット君、もう一人君と同じ子が教室にいなかったかね?」

 

そう問われ、記憶を巻き戻すと確かにもう一人、待ちぼうけしている人が教室にいたことを思い出した。

 

「教授、いました!」

「そうか。いたか。それでは罰としてもうひとっ走り行って呼んできてくれないかね?」

デーヴィットは走って元いた教室に向かうと、教室にはまだ待ちぼうけしている人がいた。

急いで話しかけた

 

「あの、教室変更があって、ここじゃないですよ。一緒に行きましょう」

「あらあら、誰もこないと思ったら、ここじゃなかったの。じゃぁ、行きましょうか?それで、どこかな?」

 

その女性こ そがエリシアであり、これが最初の出会いだった。彼女は大学院の学生であるため、頭が良いと言えば頭が良いし、年上ではあるのだが、幼い子供のようなトロ さと抜けている感じがあり、どちらかというと頼りない妹のようであった。その一方で、嘘は通用しないような、芯の通った、凛とした目や、こちらが幸せにな るような幸せそうな食べっぷりなど。そんな、エリシアにデービットは大きく惹かれた。

 

同じ授業が他にもいくつかあり、親しくなっていった。授業以外でもステファンやフレディー、シェリル、エリシアの友人のナタリー達と一緒に遊ぶことが多くなった。

 

出会いから3ヶ 月、二人は付き合うようになった。この頃、デービットにとって人生でもっとも幸せの時の一つであった。デービットは非常に社交的で友人も非常に多かった が、本当の彼は非常に内向的であった。その自分で作った他者からの彼のイメージと実際の他者を拒絶する自分との間に長年葛藤していた。そんな、本当の彼を エリシアは見つけてくれた。それがデービットにとってエリシアを何よりも代えがたい存在とさせていた。

 

二人は週末 はお互いの家か図書館で本を黙々と読み、帰りにエリシア行きつけのレストランでエリシアスペシャルとエリシアが名づけたフライドチキンとチャウダーとその 時々のコースを食べることを繰り返していた。それ以外に長期の休みの時にはエリシアの車や飛行機を使って遠出をしていた。4月頃にはワシントンDCにある2000本の桜を見に行き、夏にはマイアミまで海に出かけ、冬にはカナダまで雪を見に行った。

 

しかし、出 かけた先では海水浴をするわけでなく、スキーをするわけでもなく、話をするでもなく、ただただ、本を読み、時々目の前に広がる風景を見てコーヒーを飲むだ けであった。会話をするでもなく、ただ同じ時、同じ空間を共にすることが彼らにとって最高のデートであった。二人にとってもっとも楽しいのはこれらの計画 を練っていたときだったと後になって気付いた。

 

付き合い始めてから1年半、デービット18歳の時、すでに修士論文も完成し、後は提出して卒業するだけであった。士官学校卒業後は結婚することを密かに決めていた。しかし、そんな希望に満ちた将来設計図は崩れることになった。

 

 

ある日、いつものように休日にデートをしていた。いつものようにいつものレストランに向かい、いつもの席に座り、いつものウェイターにエリシアスペシャルを頼もうとしたその時、エリシアは倒れた。

 

救急車では 間に合わないため、デービットは車にエリシアを運び、病院まで連れて行った。正しくは、そのように行動したいたことに気付いたのは、彼女の手術が行われて いる術室の前の待合室であり、その時になってようやく我に返った。気付くとすでに日付は越え、朝になろうとしていた。

 

手術が終わ り、彼女が出てきた。もちろん、全身麻酔で意識はなかった。執刀医がでてきて、家族と話しをすることになったが、このときになって、デービットは結婚まで 考えていたはずの彼女のことをまったく知らなかったことに気づいた。デービットは婚約者であることを告げ、話を聞くことになった。

 

医者の話は非常に専門的で難しい話であったが、要約すると、彼女の病気は原発不明の乳がんであり、すでに全身に転移しており、ステージⅣであった。結論としては彼女の余命は3ヶ月ということだった。

 

彼女が起き るまで病室でずっと待っていた。デービットは非現実的な非情な現実に対してどのように対処すればよいかわからなかった。まずは、彼女がこの世から居なくな るという事実から目を背けようと思考するが、そこに待ち受けていたのは、彼女の家族のことなど、彼女の過去をまったく知らない事実であった。

 

いつもエリシアとの話は本や、数学の話(これは一方的だったが)、未来についてばかりで、彼女の過去についてはまったく知らなかった。興味がなかったわけではないが、7歳 も年下の自分としては、自分の知ることのない過去については、知ってはいけない気がしたので、彼女のために聞かないことが最良の選択であると考えていた。 この時になって、その「最良の選択」がただただ自分がそう思いたいと思っているだけであっただけで、「自分の知らないエリシア」という存在を認めたくない だけであった。そんな大人ぶって幼い自分をロジックで自分自身に納得させ、正当化した愚かさに腹立たしくなった。

 

どのくらいの時間がたったのかは分からなかったが、深き眠りからエリシアは目醒めた。

 

「あら、エリシアスペシャルは冷めちゃった?」

 

目覚めたエリシアの第一声は非常に彼女らしいものであった。彼女らしいが、彼女らしくない弱弱しさにデービットは不安を覚えたが、目覚めたと言うことにただただうれしかった。

 

「ひどい顔しているわ。私はぐっすり寝たから、今度はあなたが寝なさい。私は大丈夫だから」

 

デービットは顔から出るすべての液体を出し、ひどい顔だった。そのわりには言いたいことがたくさんありすぎて、それらのすべてが口の中で詰まってしまい、何も言えず、ただただ、彼女に促されるままに帰宅し、気絶するように思考することをやめた。

 

目覚めると外は明るかった。何時間寝たのか分からなかったが、日付がわかる時計を見たら2日寝ていたことに気付いた。デービットはあわてて、病院に向かった。病室にはいつもと変わらないエリシアが明るく出迎えてくれた。

 

「寝なさいとは言ったけど、寝すぎよ!本もないし、暇でしょうがなかったんだから」

 

デービットはエリシアの別途の横の椅子に座った。話しかけようとしたその時、エリシアから話し始めた。

 

「ごめんなさいね。こんなことになって。あなたの好きなフライドチキン冷めちゃったでしょ」

「・・・・・」

 

「ごめんなさい。そうじゃないわね。病気についてはお医者様から聞いたわ。意外よね。余命3ヶ 月なんて。生きていると自分の命にタイムリミットがあるなんてまったく意識しないじゃない。すごく新鮮な気分よ。よくわからないけど、自分が生きているっ てすごく感じるの。何、泣いてるの?死ぬのはあなたじゃなくて、私よ。泣く権利があるのは私であって、あなたじゃないわ。だから、もうそんな顔しないで」

 

いつものように明るく、楽しく、そして、非常に客観的で冷静に前向きに自分の命についておしゃべりを続ける余命ない人間と、健康極まりないのに不幸のどん底にいるような情けなく、しみったれてて、くしゃくしゃの顔をしている人間が相対しているこの空間が異様に感じた。

 

美味しいスイーツの話しをするように一通り自分の余命について、しゃべりつくした彼女はもう一つ謝罪した。

 

「もう一 つ、謝りたいのは、私はあなたに私の過去のことをまったく話しをしなかったわ。それは良く見せたかったわけじゃなくて、ただ、私は両親の居ない孤児で色々 な家に引き取られたことを話したところで何も先には進まないと思って話をしなかったの。「これから」を一緒にいる人には必要ないって思っていたの。まさ か、「これから」がなくなるなんてね。皮肉よね。」

 

デービットはどのタイミングでエリシアの病室から出たのかは覚えていないが、ふと帰宅途中で我に還った。そして、デービットは3つのことを決意する。一つは最期まで一緒にいること、二つ目はそのために留年すること、そして三つ目はより長い時間一緒にいるために、入院している病院に寝泊りすること。

 

まずはデー ビットは留年するために、色々考えたが、まずは彼の師であるジェローニモ教授に相談を持ちかけた。ジェローニモは数学者でありながら、政府の仕事を抱える など非常に忙しい男であったが、今までの弟子の中でももっとも優秀で、誠実で、可愛がっていたデービットが急に頼み込んだため、座長をしている大統領が出 席する委員会を急遽、延期させた。

 

いつものように、約束の時間に定刻でデービットはジェローニモのオフィスに現れた。そして、彼の口から留年すること、その理由について淡々と語られた。それらのすべてを静かにジェローニモは聞いた。

 

一通り話し尽くしたデービットにジェローニモは意外な提案をしてきた。

 

「デービッ ト、良くわかった。留年については良くわかった。君が考え、下した結論だから、この件については何も口を挟むことはしないし、その瞳を見れば無駄であるこ ともわかるしね。今、辞められたら我々のほうのデメリットのほうが大きい。今の話を聞いていて、一個人としての純粋な感想を言えば、男として尊敬するよ。 他の人よりも早いステップで生きてきた君にはここで足を止め、誰かのために尽くしても誰も文句は言うまい。

一つだけ提 案がある。エリシアを我が大学の病院に転院させないか?君はそこで自分の信念を貫けばいい。他のどこの病院よりも環境がいいので、少しでも長く一緒にいら れるだろう。大学には私と私の友人の何人かに話を通すから問題ない。一つ君に対価を払ってもらうとしたら、この話しを彼らにさせてもらうというのはどうだ ろうか。私の力技で説得してもいいが、彼らはこういう話に弱いんだ。みんな一丸となって協力してくれるはずさ」

 

教授の粋な計らいにデービットは感動して、ただただ感謝した。同時に、彼女を受け入れる外部環境は万全の体制となった。

 

後年、ジェローニモはこの時のことをこう語っている。

「彼も私に この話しをするのでドキドキしていたと思うが、私は彼以上にそわそわしていたよ。彼の話をすべて飲んだのも、彼に対して言ったように男として尊敬したとい うこともあるが、彼は若くしてこのハーバード大の修士号を取得するほど優秀である。同じような若さで同じように優秀な人間も何人かいたが、どれもその若さ から「人の強さ」というのがなかった。しかし、彼は人としても強い人間だ。少なくともその素養を持っている人間だと思った。だからこそ、そんな彼がさらに 『強い人』になるためには、この経験が必要だと思ったんだ。これは彼自身のためである以上に、この国にとっても重要なことだと今でも確信している。この話 しで協力してくれた友人で彼の事を知る者は全員、同じ想いだったと思うよ。」

 

 

教授の計ら いにより、大学病院に転院した。それから数ヶ月は病室がデートスポットとなった。考えてみたら、今までも本屋や図書館などずっと本ばかりを読んでいたわけ だから、それが病室になっただけだった。食事も週末にはハーバードスクウェアにある行きつけのレストランからエリシアスペシャルをテイクアウトして持って きて、二人で食べた。

 

 

しかし、彼女らしさは保ちつつも、着々とこの世ではないところへと歩んでいた。それは目に見え、彼女の大好きなフライドチキンの残飯の量は増え、読む本の量は少なくなり、眠る彼女の横でデービット一人が病室で読む時間が長くなっていった。

 

そして、その時はやってきた。

 

いつもは8時に目覚まし時計に起こされて起床するのだが、この日だけは自然と5時ごろに起きた。すでに日は昇っていて、太陽の光がカーテン越しにうっすらとさしていた。デービットが自分のベッドから起き上がると彼女は既に起きて、ベットから立ち上がり、窓から外を見ていた。彼女もデービットが起きたことに気付いた。

 

「おはよう、デービット、こっちに座って、抱きしめて。」

「おはよう、今日は調子が良いみたいだね。」

 

デービットはエリシアのベッドに座り、エリシアはデービットの膝に座って彼女を抱きしめた。

 

「さっきから思い出していたことがあるの。前に貴方は私に数学の証明方法で、帰納法について教えてくれたじゃない。ある関数の変数X1の時も成立して、2の時も成立して、3の時も成立して、ずっと続いて、どこかのNの時も成立することが示せれば、それは証明されるって。

最初に聞いた時は良くわからなかったけど、あの後、実は色々考えたのね。もし、人を永遠に愛するということを証明するとき、どうするんだろうってね。

今日、貴方を愛して、明日も貴方を愛して、明後日も貴方を愛して、ずっと貴方を愛して・・でも、数学と違って、人には永遠はないわ。人は有限、それでも永遠の愛を証明する時にNをどう設定したらいいのかって考えたの。ずっと考えていて、今結論が出たわ。

 人にとってそのNは最期の最期なんだってね。だからね、デービット、愛してる。自分のために生きて・・・ありがとう・・」

エリシアはにっこりと笑いそういうと、ゆっくり瞳を閉じた。

 

不思議だったのは余命宣告された時に比べると驚くほど、心が静かで、現在起こっているすべてのことを受け入れることができた。だから、優しく彼女を抱きしめることができた。

 

その後、親 族の居ない彼女のために葬儀を行った。葬儀にはステファンはじめ友達やジェローニモ教授が参列してくれた。粛々と誰が泣くこともなく、葬儀は終わった。そ れは一番悲しむべき人間であるデーヴィットが笑顔で彼女をおくろうとしているのに、自分が泣くわけにはいけないと皆が考えたからだと思われる。

 

葬儀後、 ジェローニモ教授以外の全員で彼女との思い出がつまったレストランに向かった。席につき、「いつもの」とだけ告げた。店員は何も言わず、エリシアスペシャ ルを持ってきてた。フライドチキン、チャウダー、そしてロブスター、これはたぶん店員がサービスしてくれたのだろう。

 

デーヴィットは静まり返った円卓に一声かけた。

「さぁ、みんな、おなかすいているだろ?食べようよ。」

「あぁ、そうだな。食べよう。エリシアスペシャルか。よく食べたな。」

 

デーヴィットがフライドチキンを一口した時、デーヴィットは止まった。彼の中でせき止めていた色々な感情が一気に流れ出したのは、くしゃくしゃの顔を見れば誰もがわかることだった。

 

「エリシアはフライドチキンの一口目が大好きだったんだ。すごく、すごく、すごく幸せそうに食べるのを見るのがすごく好きで・・・」

 

隣に座っていたステファンがデーヴィットをハグし、皆それぞれ涙を流しながら、フライドチキンを食べていた。

 

 

数日後

アナポリスの海軍兵学校に向かうための準備が終わり、家を出ようとしたデーヴィットの元に一通の手紙が届いた。差出人はエリシアだった。内容は以下のようなことだった。

 

 

 

親愛なるデーヴィットへ

 

月並みの表現だけど、この手紙を貴方が読む頃、私はこの世にはいないわね。この手紙はお別れを言うための手紙ではないわ。これから海軍兵学校に行く、あなたへの餞。

 

あなたの家が代々、職業軍人なのはわかるけど、やはり、貴方が軍人になるなんてすごく違和感があるわ。貴方は優しすぎるもの。そんな優しい貴方が戦場で心を痛めるのではないかと心配しているし、それが原因で死ぬんじゃないかと本当に心配してるだから!

多くの仲間を失ったり、苦境に立つこともあるとは思うけど、絶対に最後まで生きることをあきらめないでね。すぐに私のところに来たって相手してあげないんだからね。

 

いろいろ書きたいことがあるけど、後は貴方が想像している通りよ。愛する貴方が一日でも私のところに来ないように祈っています。

 

エリシアより

 

 

デーヴィットは手紙を読み、そして、少し微笑んだ。本当に優しい微笑だった。読んだ手紙を封筒に入れ、胸ポケットに入れ荷物を持った。

 

「さて、いってきます」

 

デーヴィットは想い出の地を後にした。

 

 

 

 

1909年 メリーランド州アナポリス 海軍兵学校

古びた海軍 学校の寮の一室。外の陽気な日差しが部屋に差し込む、そこには特に話すでもなく、お茶を飲む二人の青年がいた。片方の青年は漆黒と表現するに相応しい黒 髪、藍の瞳をした青年と表現するよりも、少年と言ったほうが良い様な、危うい美しさをもった青年。もう片方の青年は、厚い胸板、長く逞しい腕と足を持った 大きな体、それらをさらに恐ろしく見せる野生の狼のような鋭い眼を持ちながら、知性を感じさせる青年だった。

 

外の鳥の声が聞こえるほどの静けさの中で碧眼の青年がつぶやいた。

 

「今朝、志願者リストを見たよ。ようやく、彼、来るみたいだね」

「あぁ、そうだな。去年来なかったのは誤算だったが、ようやく主役が来たな。」

「ハーランド・デーヴィット・サンダース君、ようやく会えるね。」

 

奇しくもデーヴィットが海軍士官学校に入る頃、静かに、確実に、世の中は大きな争いに向かいつつあった。

 

序 

去年、「カーネルサンダースってなんで、大佐(カーネル)なんだ」と言うアホな疑問から、こんな経緯でそんな名前になったんだと勝手に妄想して作ったウソ自叙伝を元にさらに妄想を練り書いたものです。全3部作の第一弾。青年期のカーネルサンダースまでを描く、どこかの龍馬伝的なはじめりかたをし、どこかのセカチュー的な流れで空いた時間にちょいちょい書きました。アップしようとしたら文字数オーヴァーとのことなので、前編後編にわけます。ちなみに、第二部は4月を予定してます。




1979年 東京築地 夕陽新聞デスク

広い事務所内のあちらこちらに書類の山が山脈のように立ち並び、そしてそれらが高い山であることを象徴するかのように、それらの山脈をタバコの煙の雲海ができていた。この光景こそが「ぶんや」という職業が他の職業のそれとはかけ離れたものであることを象徴するようであった。

 

入社3年目の記者、橘吾郎は茹だるような暑さの中から帰社したばかりであった。吾郎が自分のデスクにつこうとした時、編集長の笹川がわめく声が聞こえた。入社3年目とは言え、この部署には今年配属されたばかりの新人の梅山が下にいるだけで、この部署の末席に居ることは変わらなかった。

 

だいたい、編集長がわめく時は末席のこの二人を呼ぶ時であり、梅山は今週からハネムーン旅行に行っており、当然呼ばれたのは自分であることは自明のことであった。吾郎はいつものように怒鳴られることを覚悟しつつも、上司の命令には逆らえないため、しぶしぶ、笹川のデスクに足を向けた

 

「編集長、お呼びでしょうか?」

「おう、来たか。ケンタッキーフライドチキン知ってるか?」

「知ってますが、おいくつをってくればいいんですか?」

「おいおい、早合点するんじゃねーよ。来週な、そのケンタッキーフライドチキンの創業者のじいさんが来日するんだよ。それで、お前にそのじいさんのインタビュー記事を書けって言ってるんだよ。知ってるだろ、店前においてある奇天烈なじいさんの店?あれの本物にインタビューしてきてくれや。もうアポは取ってあるし、場所も決めてある。本当は井上が行く予定だったんだが、あいつ、こないだ倒れちまったからな。代打だ。お前、英語は得意だろ?」

 

吾郎は、笹川からカーネルおじさんのインタビュー資料を受け取った。ケンタッキーフライドチキンは何度か食べたことがあったし、店前にある全身純白のじいさんの像も知っていたが、その店がどういう経緯でできたものなか、そのじいさんが何者なのかはまったく知らなかった。まずは、体調不良で倒れた先輩社員の井上が残した資料に目を通すことにした。

 

カーネルおじさんこと、カーネルサンダースが本名であると思っていたら、それすら愛称であった。その本名はハーランド・デーヴィット・サンダース、189099日、インディアナ州ヘンリービル生まれ、士官学校を経て、陸軍に入隊。55歳で退役。退役時の階級は特別大佐。その後、ケンタッキーフライドチキンを設立。独自の製法をフランチャイズ化することでアメリカのみならず、世界各地に展開する。自身は1964年、74歳の時に経営を後継に譲る。

 

「なるほど、大佐(カーネル)ね・・・・大佐でチキンとはこれまたなんだな。それにしても何で軍人さんがチキンなんて売ってるんだろうな。資料が少ないから何も分からないや。井上さんが調べてこれだから、他にあまり出てこないだろうな」

吾郎はインタビューでは生い立ちなどから話しを訊くことにした。

 

 

インタビュー当日 帝国ホテル

吾郎は定刻どおりにサンダースが泊まっている帝国ホテル内でもっとも豪華なスイートルームのドアをノックした。秘書だと思われる欧米人らしい大柄な体躯の男に出向かえられ、部屋を通された。部屋にはケンタッキーの店頭にたっているそれと同じような純白のスーツと白髪の非常に大きな存在感がある男が待っていた。吾郎は秘書の男のように非常に大柄な男のように思ったが、良く良く見てみると、その実際の体躯は印象よりかは小さく、日本人の平均身長である吾郎よりも少々高いぐらいであった。

 

「どうぞ、おかけになってください」

 

全身純白スーツの疑いのないほどの「外国人」の口から予想外に出てきた日本語に吾郎は驚いた。そして、その老人は話を続けた。

 

「驚いたでしょ。昔、日本の良き友人に教わりました。申し訳ないですが、ここからは英語で失礼」

 

「こちらこそ、お会いできて光栄です。ミスターサンダース。私は、夕陽新聞の橘吾郎と申します。日本語がお上手で驚きました。今日は貴方のこれまでの半生を中心にお話を聞かせていただきたいと思います。」

「吾郎さん、カーネルおじさんでいいですよ。みんなそう言ってくれるし、私もそういわれる方が好きなんです。」

「それでは親しみと尊敬を込めてカーネルおじさんと呼ばせていただきます。それでは早速ですが色々と伺わせていただきます」

「どうぞ。それほど楽しい話ができるかどうかわかりませんが、おしゃべりは好きなので、私のことでよければ小さい時の話しからさせていただきますよ。本当は記者として、ケンタッキーの日本での戦略を聞きだしたいのだと思いますが、私は既に身を引いた身なので、お話しできないところが多くあります。まぁ、そうは言っても、未だに日本全国の店頭に自分の人形を置いているので説得力には欠きますが・・次に興味あることは軍人さんが何でチキン(臆病者)なんか売っているのかと言うことでしょうね?ジョークにもならないですよね。そこのところはちゃんと理由はあるのです。私が何故フライドチキンを世に広めようと思ったのか、三つのキッカケとなる話も織り交ぜながら話をさせていただきます。」

 

この時はまだ、吾郎は紳士的なじいさんの話しを聞くだけだと思っていた。そして、これからこの「カーネルおじさん」が何故、軍人からフライドチキンビジネスを始めたのか、なぜ全身純白の奇抜な格好をしているのか、その壮絶な理由を知ることになる。

 

 

1890年 インディアナ州ヘンリービル

ドイツ系アメリカ人で陸軍の大尉であった父モーガン・サンダースとイギリス系アメリカ人アンナ・サンダースの長男として生を受けた。兄弟は4歳年下の弟のウィルがいた。サンダース家は父モーガンがアメリカ陸軍大尉であるように、代々、職業軍人を生業としていた。私の祖父は南北戦争で北軍として前線で指揮を振るう猛者であったようだが、デーヴィットが生まれる前に亡くなっていた。

 

サンダース家は職業軍人を「家業」としていただけあって、家庭内の躾も軍のように厳しいものであったが、それは礼儀作法や生活習慣などの部分だけであり、子供が良くないことをした時はり、良いことをした時は褒め、そして、それらに愛を持って接していた。また、子供には自由に考え行動することを尊重していた。

 

幼少時のデーヴィットは、同年代に対しては人見知りをする一方で年上には可愛がられ、年下の面倒見は非常に良かった。また、正義感の強い一方で、人を驚かせることが好きだった。小学校2年生までは成績面では劣等性であったが、ある出来事が起きたから一変した。

 

デーヴィットの成績がすこぶる悪かった原因は両親が子供たちに勉強を押し付けることをしなかったことにあった。遊び盛りの子供にとって、勉強はすすんでやりたいものでないため、当然のことではあるが勉強をまったくしなかった。学期末のある日、担任が両親を学校に呼び出した。デーヴィット、担任、そして両親の3人で話し合いをすることになった

 

「デービット君はリーダーシップが有るのは良く分かっておりますが、このままの成績では落第してしまいます。家庭内でデービット君にもっと勉強するように言っていただけませんか?」

 

ここで普通の親であれば、子供に対して怒ったり、「勉強をさせるようにします」などと言う所であるが、この両親の場合は違った。

 

「いいえ、先生、私達はデービットに『勉強しろ』とは言うつもりはありません。彼にはこれまで、何が良いことで、何が悪いことなのかの『センス』を教えてきましたし、もう彼にはそのセンスがあります。だから、彼はこの状況が悪いことをわかっていますし、それを打開する方法を知っています。自分の人生を創造する力を既に持っている彼に対して私達が言う言葉はありません。そうでしょ。デービット?」

 

それからデーヴィットは自主的に勉強を始め、すぐに成績を上げ、落第どころかすぐに飛び級していった。子供にとって、「親に信頼されている」と言うことが何よりの心の寄りしろであり、最大の圧力であった。デーヴィットはそれから勉強をするようになった。勉強をするようになってから勉強すること、何かを知り、考えることが楽しくなっていった。

 

弟のウィルも同じ年頃に、同じような状況を経験した。後年、母の葬式の時にウィルはこの時のことを「あれが一番エグイつめ方だったと思うよ。あれはずるいよ。父さんも母さんもあの状況を想定してたんだ。最強の策士だよな」と懐かしみながら語っていた。

 

両親は「勉強しろ」とは言わなかったし、両親から何かを一方的に教えられると言うことはなかった。しかし、ウィルと私からの質問や相談は何よりも優先して答えてくれた。特に父が教えてくれたことは後々、軍で、ビジネスで役に立った。これに関してもエピソードがある。

 

デーヴィット達は順風満帆に飛び級をしたわけではなかった。最初はただ知識を記憶しているだけで満点を取ることができたが、試験範囲が広くなるに従い、伸び悩んだ時期があった。悔しいので、勉強量増やすのだが、増やせば増やすほど成績は落ちていった。悩んだデーヴィットが相談をしたは、父であった。

 

「父さん、勉強を始めてどんどん成績は上がってきたんだけど、最近、試験範囲が広くなってきてぜんぜんいい点数が取れないんだ。最初は勉強量が足りないと思ってて、もっと勉強するようにしたんだけど、勉強すればするほど点数が落ちていくんだ。何がいけないんだろう?」

「そうか。意外と早くその壁にぶち当たってうれしいよ。いやや、喜ぶのは失礼か。だが、非常に正しい悩みだ。わかった。ちょっと待ってなさい。」

 

そういうと父は納屋から木の角材とハンマーと釘を持ってきた。

 

「デービット、この角材にこれを使って釘を打ちなさい」

 

デーヴィットは真剣な話しをしているのにいきなりどこかにいき、話しとまったく関係のないものを持ってきて、さらにまったく関係ないことを話しだした父に疑問を覚えたが言われるままにやることにした。

 

「父さん、やりましたよ。それでこれが何なんですか?」

「デービット、釘をどうやって打った?」

「誰でもわかりますよ。角材に釘を立てて、上からハンマーで叩く。それだけですよ」

「うん。その通り、分かっているじゃないか。次は目隠しして同じことをやってもらおうか」

デーヴィットは眼が見えない状態で釘を打つのは無理だとすぐにわかった。

「さすがに、目が見えないと釘を打つのは難しいですよ。釘を立てるのはできるけど、ハンマーで叩く時に手を打つかもしれないし、釘を曲げてしまうかもしれないじゃないか」

「私もそう思うよ。やっぱり角材を見て、角材の釘を打ちたいところに釘を立てて、その釘を上から叩く。そうじゃないと釘は刺さらないし、それたら手も痛いし、釘も曲がってしまうからね。そこまでわかっていれば話しが早い。君は今まさにそんなことをしているのだよ。

つまり、今の君は、テスト範囲という角材をまったく見ていないし、釘と言うテストもまったく見ないで、むやみやたらにハンマーをぶん回しているだけだ。

いいか、デーヴィット、ハンマーをむやみやたらにぶん回せば釘が打てないように、勉強だって、何だって、ただひたすら努力するだけでは報われない。問題に対して正しいベクトル(方向)で努力しないといけない。努力する方向を間違えれば、釘が大きく曲がってしまうし、角材も壊してしまいかねない。

これがレッスン1『良く見て。釘を打て』だ。その事を心のメモに書いておきなさい。まずは、自分が見えていないことがわかっただろう?」

 

デーヴィットはようやく父の言わんとしたいことが見えてきた。

 

「レッスン2は釘の頭の見つけ方だ。角材に釘を打つのは簡単だ。釘の頭を叩けばいい。だが、世の中に落ちている釘はどれが頭かわかりづらい。逆に言えば頭さえわかればほとんどその問題は8割解決しているようなものだ。そこで釘の頭の見つけ方だが、いろいろあるから長い人生の中で色々な方法を確立していって欲しい。今日はその中で、父さんが知っている『見つけるためのエッセンス』を伝授しよう。

教えるにはそうだな。例があったほうがいいな。最近受けたテストは何かな?」

「数学です。」

「そうか。数学か。そのテストは範囲とか決まってるかな?」

「うん」

「いつもデービットはそのテスト勉強どうしてる?もしかして、教科書の範囲の最初のほうからやってるんじゃないかな?」

「うん。いつもそうしてる」

「そうか。っということは、デービットは数学のテストを教科書に載っている範囲の知識を得ればいいと思っているわけだな。父さんなら、まず、そのテストがどういう意味なのかを考える。入試テストなのか、定期テストなのか、授業中のショートテストなのか。今回は定期テストだな。定期テストって何のためにあると思う?」

「みんなの成績をつけるためだと思います」

「確かにそれは正しい。でも、そもそも成績をつけるというのはどういうことだろうか?成績の良いやつを褒めるため?逆に成績の悪い子を見つけるため?そうじゃない。定期テストというのは、『その期間に教えたことをちゃんとわかってますよね?知ってますよね?』ということをみんなに確かめる機会だ。成績が悪くて怒られるのは、それまでに教えたことを分かってくれなかったからだ。君だって、誕生日に欲しいおもちゃがあったら、父さんや母さんにお願いするだろ、こんなのが欲しいとかって説明するじゃないか。それで私がそれとは違うものを買ってきたら怒るだろ?まさに、そういうことだ。」

 

デーヴィットは非常に合点の言った顔で聞き入っていた。父は話を続けた。

 

「ただのテストでも範囲とは別のそういう背景があるわけだ。私はそれを『文脈』と読んでいる。この文脈は人が関わる万物に存在している。この文脈を読む心がけをして欲しい。そして、この文脈を読めると『釘の頭』を見つける手がかりが見つかる。

さて、話し戻そう。さっきまで君はテストを数学の範囲だけしか見えていなかったが、このテストは先生から君らへのメッセージが詰まっていることが分かった。良い点数を取ると言うことはこのメッセージにちゃんと答えることだ。

それではこの先生のメッセージを深彫りしよう。さっき君は、『範囲が広すぎて』と言っていたけど、それは逆に言えば先生も言いたいこと、聞きたいことがたくさんあると言うことだ。でも、テストで出せる部分は限られている。さて、君が私に言いたいことが山ほどあるんだけど、それでも言えることが限られていたらどうする?」

「そうだなー。一番聞きたいことから聞いていくかな。そうか!先生も一番聞きたいことからテストで聞くんだね」

「エクセレントだ!その通りだ。一番聞きたいことから順に訊いて来る。後はわかるね?」

「一番訊きたいことということは一番知っていて欲しいことということだから、授業でなんども言った所や重要箇所を知っていればいいのか」

「そういうことだ。さて、最後のレッスン3は『相手になる』だ。今のは割りと一般的な部分から攻めてきたけど、もちろん、先生によって伝えたいことも若干違うし、性格も違う。それではどうするかと言うと、そのテストを作る先生の気持ちになることだ。優しい先生でみんなに点数を取らせたい先生ならば、8割ぐらいが重要点だけになるし、意地悪な先生だったら、4割ぐらいが重要点で残りがすごく難しいものにしてしまう。でも、それぞれ先生ごとに癖があるから、意地悪な先生だったらどこを出すかを考えてみよう。まぁ、俗にいう山を張るってやつだけどね。正直、その部分は経験と勘だから、これから磨いて欲しい」

 

このやり取りで感銘を受けたデーヴィットはまた成績を上げるだけでなく、他の同級生に「ヤマ」を売って一儲けた。

 

ある日、同じような悩みをウィルが相談してきた。この時を待っていた。父のようにカッコ良く説き伏してやろうと思っていた。そのために、かなり前から木材とハンマーと釘の位置は頭に入れていた。デーヴィットは相談してきた弟を待たせ、一式を部屋に持って行き、同じように「釘を打て」と命じた。そして、同じように目隠しをして釘を打つように命じた。当然、デーヴィットはウィルが「そんなことできないよ」と言うものとばかり思っていた。

 

しかし、ウィルは「わかった」と明るい声で答えると、目隠しをして、デーヴィットが目を見開いて打つよりも上手に釘を木材に綺麗に打ちつけてしまった。そして、ウィルが「やったけど、それで?」とポカンとした顔で言ったが、何も言える言葉がなかった。

 

 


笑い男、タイガーマスク運動と書いた時点で分かる人にはこの先何を書いているのかわかるだろう。「笑い男」というのはアニメ「攻殻機動隊」第一シーズンに出てくる事件の犯人の俗称である。是非とも、お手元の聖書やビジネス書ましてや、MBAシリーズの本などをブックオフに売って、その金で見てもらいたい作品である。


攻殻の世界観などを説明するのが難しいので割愛するが(「笑い男」でグぐるとwikiでのっている)、最初の犯人の犯行から次々と模倣犯が出現するのだが、それらに共通したキャラクター(笑い男のマーク)を使用しているためにあたかも単独もしくは組織的な犯罪のように見えて事件が混乱するという話である。


このあたりがタイガーマスク運動に類似しているいうことである。最近では色々なキャラクターの名前による寄付があるため、そのキャラクター像などはだいぶぐらついているが、タイガーマスク運動も最初のオリジナルを元に模倣犯が続出しつつも、「伊達直人」というキャラクターで見た目上は一人のキャラクターの犯行のように見えている。世の中に笑顔を広めたという意味では本当に笑い男なのかもしれない。

小さい頃は「読書」というものが苦手でして、高校の時まで年に1、2冊ぐらいしか本を読まなかった。そうは言っても「五体不満足」のように人生のシフトを大きく変える本との出合いもあったりしている。他にも中学の時は猿岩石日記を授業中に読んでいて先生に怒られたことがありましたな。


それと「書く」と言うことも非常に苦手で、小学校の頃は400字の原稿用紙を埋めるという作業が何よりも苦痛でありました。そんな私ですが、大学に入ってからは読書量が比較にならないくらいに増えた上に、「書く」ということもブログなどのおかげで増えたわけです。既にここまで書くのに、200字ぐらいなので、小学校の時分の自分が見たら驚くことでしょう。


よくよく考えてみると大学に入ってから読んでいる本がビジネス書だったりの実学書ばかりでして、高校までってこういう本という読むことがあまりない(そもそも存在すら知らない)。どうも、本を読むのが苦手だったのではなく、小説などの物語を読むのが苦手らしいです。


一時期はビジネス書、特に小難しいような本を好き好んで読んでいたんですが、最近は読書量はその頃に比べると少なくなったし、ビジネス書的なビジネス書(ビジネスプランなんりゃら、とか起業なんちゃらとか、MBAなんちゃら)はほぼほぼ読まなくなった。


実はこれにはキッカケがあって、先に書いたように好き好んでソレ系の本を読んでいたのですが、非常に尊敬しているし、「すごい」と思う人がそれほど本を読んでおらず、私に「むやみやたらに本を読むな」と言われたことがキッカケです。


本と言うのは一種の麻薬のようなもので読んだだけでトンでしまう効果があり、そういうときに限って、本の内容を理解していないからだそうです。「考えて読む」をしないと思考の成長にならない。それとそういう気持ちイイ本というのは、実は中身がなかったりするとのことです。読むとしたら今の自分の仕事などに関係ない本を読むことを勧められた。それと偏りがあると思考が刺激されないそうです。それだったら、エロ本でも読んでいたほうが良いとのことだった。


実際に高校の時分に「大学の数学」とか難しい本を使っていたのですがまったく持って成績は伸びておらず、今考えると難しいことに触れて成長した気分になっていただけだたと思うわけです。勉強でさえそうであるのだから、ビジネスだったらさらにそうなのだと人を見て思う今日この頃。